研究・教育

ケンブリッジ大学クレアホール 夏季 Visiting Students 研修報告

2016年度レポート
工学系研究科 先端学際工学専攻 博士課程2年
谷村 崇仁

研修概要
当研修制度は、東京大学・先端研とケンブリッジ大学クレアホールの提携を基にしたものである。毎夏、東京大学の学生若干名をクレアホールに派遣し、最大4週間の滞在型研究に取り組ませる。私は8月の第1週から第3週までの3週間、ケンブリッジに滞在することとし、前半2週間でケンブリッジ大学の研究室を訪ねるとともに研究・論文執筆を行い、第3週にケンブリッジ以外のイギリス各地の大学を訪ねることとした。私の専門は光ファイバ通信およびネットワークであり、訪問する研究室はこの分野のイギリスにおける先導的研究室である。

 

イントロダクションに代えて:ケンブリッジ大学の概要
科学を志すものにとって、ケンブリッジは一種ロマンチックな土地である。昔この大学で活躍した、エラスムス、ニュートン、ダーウィン、そこまで溯らなくとも、20世紀前半の実験物理学を華々しく彩ったキャベンディッシュ研究所(初代所長はマクスウェル。現在までに29人のノーベル賞受賞者を送り出している)や、DNAの二重螺旋構造が着想されたエピソード、情報工学でいえばアラン・チューリングの悲劇など、この地は数々の伝説に満ちている。

日本からヒースロー空港を経由してロンドンに到着したならば、まずはハリー・ポッターで有名なロンドン・キングスクロス駅を目指そう。ケンブリッジまではそこから列車(図1)で1時間ほどの旅である。初めてケンブリッジに到着した際、私が受けた第一印象は「緑の多い街」であった。実際、喧噪に満ちたロンドンにくらべ、ケンブリッジ、とくにバックスと呼ばれるケム川を超えた地域は静かで、学問をするのに最適な環境だと思える(図2)。静謐は学問の材料であるが、それは日本では大変希少な資源であった。ここには、それが豊富にある。

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図1: キングスクロス駅からケンブリッジ駅までの列車

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図2: ケンブリッジ大学クイーンズカレッジのバックス(「裏庭」)

見事な芝生と歴史ある建物に囲まれ、過去、この場所に確かに存在し、同じ場所を散策し、思索し、講義し、そして同じパブで酒を飲んだであろう偉大なる先人たちに思いを馳せるとき、自分が人類の知的歴史のささやかな一部に関与する一員でいることを(それは一瞬の幻想かもしれないが)確かに実感できる。ケンブリッジとは、そのような街である。

ケンブリッジ大学はオックスフォード大学に次ぐ古い大学として知られている。設立は1209年というから、日本では鎌倉時代初頭のことである。現在のケンブリッジ大学は、31のカレッジ(学寮)から構成されており、今回の研修で滞在したクレアホール(1966年設立, 図3)は、このカレッジの一つである。この「カレッジ制」は、日本の大学で学んだものにとっては分かりづらいものであろう。私にとっても訪問当初、この制度は謎の制度であった。クレアホールに滞在中、折にふれて人から話を聞き、その輪郭がわかってきたものである。以下に私なりの理解を記そう。

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図3: ケンブリッジ大学クレアホール正面


まず、私が最初に持った疑問は、「ケンブリッジには、日本の大学のような学部・専攻はないのだろうか?」というものであった。こちらも、もちろん存在し、例えば、「ケンブリッジ大学 工学部(デパートメント・オブ・エンジニアリング)」の組織と立派な建物が存在する。これらの建物の中には、日本の大学にあるような、教員の研究室、学生居室、セミナールーム、実験室などが収容されている。これら「学部」の機能を大学の表玄関とするならば、いわば奥座敷・生活の場となるのがカレッジとなる。カレッジには教員・学生の生活のための部屋があり、原則的には、すべての教員と学生が共同生活を送っている。カレッジにはダイニングルームと呼ばれる食堂が併設されており、学生や教員は、昼夜ここで食事をとり、そしてそこは大事な社交と教育の場でもある。(なお正規の教員は、ダイニングルームでの食事代は基本的に無料のようである)当地では皆、隣り合った初対面のものに気軽に話しかけ、自己紹介を行い、会話を交わしながら食事を楽しむ。歴史の古いカレッジのダイニングルームでは「ハイテーブル」と呼ばれる教員専用のスペースや食前のラテン語の祈りなどがあるそうだが、クレアホールのダイニングルームは設立された年代を反映してか開放的なもので、学生と教員が隣り合って食事を楽しんでいる。ランチはスープ、メイン、デザートというシンプルなコースであり、食後に別の部屋に移動してコーヒーを飲む(なぜか紅茶ではない)。よくイギリスの料理は不味い、という人がいるが、少なくともクレアホールのダイニングルームではおいしい食事が楽しめるので安心してほしい。また毎週水曜日の夜には、カレッジで正式なディナーが開催される。クレアホールでは男性はブラックスーツ、女性はドレスを着込んでコース料理とワインを楽しむ。(なので、次年度以降クレアホールへの滞在を計画している学生には、スーツ・ドレスを一着持参することをお勧めする)クレアホールは比較的カジュアルな学風のためか、正式ディナー時の服装としてスーツ姿が多いが、他のカレッジではこういった正式なディナー時、教員はアカデミックガウンを着込むそうである。また今年はクレアホールの創立50周年ということで、様々なイベントが行われていた。そのようなイベントに(飛び入りのような形で)参加することで、ケンブリッジ生活の一端を知ることができたことは幸運なことであった。

話をカレッジと学部の関係に戻すと、カレッジと学部は、基本的には独立な組織である。(ある程度の相関はある。たとえば、クレアホール以外に私が訪ねたチャーチルカレッジは理工系の教育に力を入れており、工学系の学生が多い)そのため、カレッジでは、自然と他学部の友人・同僚と議論が行われ、専門以外の知的教養が涵養される。私の滞在は大変短いものであったが、それでもカレッジの昼食時、あるいはコーヒータイムに隣り合い、会話を楽しんだ教員・学生の専門は、古代ギリシャ哲学から経済学、天文学、日本の民謡(!)に至るまで多種多様であった。また話に聞く所によると、正式の学生にはカレッジの教員と一対一(あるいは一対二)で、延々丸一日議論を行うチュートリアルと呼ばれる教育が徹底的に施されるとのこと。こういったカレッジでの生活を通じて、学生はテーブルマナーから始まり、様々な物事への取り組み方、知的教養と知的態度を身につけるのだろう。このようなやり方は、少なくとも現代の日本の大学とは大きく異なる。しかし当地では昔からそのようにやってきたのであり、少なくともこの何百年か、この方法で大きな成功を収めているのは間違いない。そこには、我々が学ぶものがあるように思う。ここでは、学部(機能性組織での専門教育)とカレッジ(知的態度を身につける共同体)が絡み合い、ひとつの大学を構成している。

 

研究室訪問・セミナー
私が現在研究している分野(光ファイバネットワーク)における第一級の研究者であるS. Savory博士(チャーチルカレッジのtutorであり、工学部に研究室を持っている)を訪ね、現在私が行っている博士論文研究について講演し、議論を行った。チャーチルカレッジの建物は、クレアホールから自転車で10分ほどの距離である。カレッジのハイテーブルに招かれ、Savory博士と昼食を共にした後、一緒に自転車で工学部まで移動し、セミナールームで講演を行った。(余談だが、工学部の建物はWest Cambridgeという理工系の集積地区にあり、キャベンディッシュ研究所の隣にある)講演にはSavory博士が指導している博士課程学生や、関連の研究者など30人程度が集まり、盛況であった。白熱した議論は、場所を移してのティータイム中も続き、多くの収穫と示唆を得ることができた。

次にブリストル大学のD. Simeonidou教授の研究室を訪ねた。ブリストル大学のあるブリストル市は、ロンドンからから200kmほど西に離れたイングランドの街であり、ウェールズにも近い。ロンドンからは、都市間列車で2時間ほどの距離感である。Simeonidou教授の研究室では、最新の高速光送受信器から、ソフトウェア定義光ネットワーク制御層、またデータセンター内コンピュータと光ネットワークの融合など、現代的かつ広範な分野での研究に取り組んでいる。中でも特に印象に残ったのは、研究室で開発したネットワーク技術を実際に用い、大学発のベンチャー企業およびブリストル市当局と協力しながら、市内にICT/IoTソリューションを提供する実験を行っていることであった。近年において、ネットワークとコンピュテーションの研究は急速に接近しつつあるが、そこから一歩先に進み、社会実装まで含めた研究・実装を行っていることは、今後の大学の研究のあり方として興味深い。

最後に、ウェールズにあるバンガー大学のJ. Tang教授の研究室を訪ねた。当研究室では、主に短距離向けの光送受信器、また関連のディジタル信号処理(DSP)の研究を行っている。残念ながら、夏期休暇期間中ということもあり学生は少なかったが、代わりに物理層信号処理について、Tang教授と個別に議論を深めることができたのは大きな収穫である。

 

研究・論文執筆
残余の時間について、クレアホールのリーディングルーム、および大学図書館にて研究を行った。図書館はそれぞれのカレッジに併設されているが、もっとも大きなものは大学図書館(図4)である。建物は単純なデザインに見えるが、実際に見上げると、その大きさに圧倒される。内部は、大変静かでよい。利用の際は、クレアホールのtutorあるいは秘書の方に頼んで、推薦状(レター)を書いてもらおう。レターを持って図書館の事務局に赴けば、滞在期間中有効な入館証を作ってくれる。図書館では先行文献の調査と、光ネットワークについて研究を行い論文を執筆した。論文は未完であるので、今後完成させ、発表を目指したい。

(2016年10月20日)

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図4: ケンブリッジ大学図書館(University Library)