東京大学

学位取得者より(初期生)


鳥塚 史郎

鳥塚 史郎

  • 兵庫県立大学大学院 教授

学位取得:1994年 3月
論文題目:界面微構造制御TiB₂ 基複合材料の力学的特性と焼結機構に関する研究

30周年に寄せて

私が入学したのは1992年4月でした。33歳の時で息子が生まれた年です。本郷で工学部を卒業し、修士では六本木の生産技術研究所で学びました。卒業後、日本鋼管株式会社に勤めて7年目になった時に、岸輝雄先生のお誘いを受け、社会人ドクターとして、先端学際工学専攻の第1期生として入学いたしました。

駒場、そして岸研究室は落ち着いたとてもよい雰囲気でした。同期生は数名であったと思いますが、各社を代表してきている彼らとの会話は刺激的でした。本専攻は私の指導教官である岸輝雄先生をはじめ、柳田博明先生、村上陽一郎先生など、日本を代表する研究者の集まりでした。自分の研究を行うだけでなく、このような先生の講義も聞くことができ、大変刺激を受けました。社会人だからこそ、講義の価値もわかったのでしょう。中でも村上先生のご講義は圧巻で、「大学の根本は学位授与権にある」とおっしゃられたのを今でも覚えています。その村上先生がセンター長の1994年3月に博士の学位記を授与いただきました。学位のおかげでアカデミックの分野に進むこととなり、金属材料技術研究所(現物質・材料研究機構)、さらに、兵庫県立大学へと転じ、研究と教育を続けております。これもわたくしに転機をあたえてくださった、岸先生のおかげであり、先端学際工学のおかげです。心より感謝申し上げます。


花方 信孝

花方 信孝

  • 国立研究開発法人 物質・材料研究機構 理事

学位取得:1994年 9月
論文題目:ベニバナ培養細胞によるキノベオンA生産システムの開発

先端学際工学専攻30周年にあたって

私は、1992年に第1期生として先端学際工学専攻に入学しました。先端研には様々な学問分野の研究室が存在し、先端学際工学という名称は、いかにも先端研らしい名称であると感じたことを思い出します。私は、社会人学生として入学し、学位取得後、企業に戻ったのですが、1997年に先端研の寄付講座の助教授として採用していただき、以後、今日まで大学および国研で研究を生業にしてきました。もし、先端学際工学専攻という博士課程ができていなかったら、企業において今とは全く違う道を歩んだのだろうと思います。そう考えると、先端学際工学専攻への入学は、私の人生にとって、大きな転換点であったと言うことができます。この30年間、様々なものが変化してきた中で、先端学際工学専攻という名称が変わることなく現在まで受け継がれていることを非常に嬉しく思います。今後もこの名称のもとで、多くの優秀な人材を育成し、社会に送り出していただける専攻課程であることを期待します。


三林 浩二

三林 浩二

  • 東京医科歯科大学
    生体材料工学研究所 教授
  • センサ&loTコンソーシアム
    会長

学位取得:1994年 9月
論文題目:非侵襲バイオセンシングシステムの開発

「先端学際工学専攻」一期生として

1989年4月に企業研究生として先端研で研究を始め、1992年に先端学際工学専攻の一期生として博士課程に入学しました。博士課程では幾つかの講義も受講しましたが、その中でも初代先端研センター長・大越孝敬先生の講義を強く覚えています。大越先生はご専門が光デバイス・光通信でしたが、講義の中では先端研の基本理念である「学際性・流動性・国際性・公開性」の話もされました。特に、研究者として単に論文を書くだけでなく、将来は英語の専門書を執筆し、自身の知識や技術、考えを世界に広く伝えることを我々に強く勧められました。

企業人から大学人になってからも、そのことがいつも気になっていました。ようやく2019年に専門書(Elseivier社)を出版することができ、幸い翌年に米国出版協会賞(2020 PROSE Awards, 化学物理カテゴリー)を受賞できました。現在は、今年中(2023年)に新刊書(Springer社)を出版するべく準備を進めています。

先端研での研究生活そして先生方の薫陶を受けたことが、人生のターニングポイントだったと感じています。先端研そして先端学際工学専攻の教職員、学生の皆さんの更なるご発展を祈念しております。


大倉 典子

大倉 典子

  • 芝浦工業大学 名誉教授

学位取得:1995年 3月
論文題目:人間の聴覚的空間知覚特性の研究

先端学際工学専攻30周年に寄せて

仕事で博士号を取る論文博士が難しい環境にありながら、博士号を取りたかった私は、1992年2月7日の朝日新聞に「在職のまま博士号OK 東大が『社会人枠』のある新大学院設置へ」という見出しの記事(博士課程は日本で初めて)を見つけ、喜び勇んで受験した。入試は4月で、2人の小学生の母親だった私は、「三足のわらじは無理」と考え、合格後に3年間休職した。当時は、「学際」の名の通り、先端研を構成する各分野からの必修科目が多く、「講義を聞いて調べてレポートを書く」という体験も楽しかった。指導教官の舘助教授(当時)、助手だった柳田さんと前田さん、そして同じ研究室の学生さんたちとの毎日の熱い議論も、楽しかった。私にとって、本郷で過ごした修士課程までが「第一の青春」、そしてこの駒場の3年間が「第二の青春」である。博士号を取得し、子供の中学受験後に、芝浦工大に職を得た。この専攻がこの年に始まっていなければ、私に博士号を取る機会は無く、大学教員になることもなかった。私の人生を大きく変えてくれたこの専攻とその設置に尽力された先生方には、感謝しかない。


小方 孝

小方 孝

  • 岩手県立大学 教授

学位取得:1995年 3月
論文題目:物語生成 : 物語のための技法と戦略に基づくアプローチ

先端研、自由と物語

煉瓦作りの風格ある建物の中の研究室にせっせと通い、1995年春先端研知能工学講座で私は博士号を取得した。「大きな物語の終焉」が唱えられていた時代に、文学理論・認知科学・AI等を融合し物語に関する知見を生成につなげるというテーマを選んだ。そんな研究意味(義)がない・やめた方がいい、といった「助言」をしてくれる人もいたが、指導教官の堀浩一助教授(当時。以下同)、副指導教官の大須賀節雄教授や村上陽一郎教授をはじめとする先生方は、極めて自由に研究をさせてくれた。当時の先端研に関する私の印象は、とにかく自由で伸び伸びしていることであった。その後ずっと私は物語の研究を続けてきたが、(少なくとも今の)人類にとって物語は絶対に終わらないという当時の直観が今まずい形で当たり、偽情報物語をフルに活用してきた自由のない国が、自由を求める国を理不尽に侵略する大規模な戦争が起きてしまった。この状況について研究し文章を残しておくことも物語研究を続けてきた人間の義務だと思っている。長期的な視点から広く人類に何らかの貢献を成し得るテーマを徹底的に追及することの重要さは、先端研の素晴しい環境と先生方から最も深く学んだように思う。

  • 先端研の春
  • 先端研の夏
ページの先頭へ戻る