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ケンブリッジ大学クレアホール 夏季Visiting Students研修報告

2013年度レポート 工学系研究科 先端学際工学専攻 博士課程3年 堀田 善宇

1.プログラム概要

先端科学技術研究センターがケンブリッジ大学クレアホールとの協力の下に実施している夏季研修プログラムに参加した。同プログラムの目的は、ケンブリッジ大学での学術研究交流であるが、私のような博士課程在籍者の場合は、自身の博士論文用の研究・調査、現地サマースクール・プログラムの履修、他の研究者・院生との交流の3つが主要目的となる。この度は8月の初めから終わりまで約1カ月間の研修参加となったが、基本的には、最初の2週間をサマースクール、その後の2週間を私自身の研究・調査に充てた上で、それらの4週間を通じて他の研究者・院生との交流を行うことになった。

2.クレアホール

本プログラムは先端研と、ケンブリッジ大学の数あるカレッジの一つであるクレアホールとの間の協定に基づくものであるため、同カレッジのブライアン・ピッパード・ビルディングに滞在することになった。クレアホールは、1326年に設立されたクレア・カレッジから派生する形で1966年に新設されたカレッジであり、先端科学を研究する研究者と大学院生のためのカレッジである(学士課程の学生が所属できない2つのカレッジのうちの1つである)。1966年に設立されたため、カレッジの事務局や食堂がある中央棟や今回滞在したブライアン・ピッパード・ビルディング等殆どの建物がケンブリッジ大学にしては比較的新しく、設備や住環境が整っている。

クレアホールの主な特徴は2つあり、1つは海外からの研究者及び大学院生の受入れが盛んであることであり、同カレッジは学術研究を通じた国際交流に重点を置いている。世界各国の研究機関との協定を通じて、常時多くの海外研究者が短期から長期にわたって滞在している。特に夏場は、夏季休暇で学内(同カレッジ所属)の研究者・院生が少なくなり、逆にそれを補うかのように夏季休暇を利用して同カレッジを訪れる海外の研究者・院生が多くなる。私が滞在したブライアン・ピッパード・ビルディングも国際色豊かで、欧州各国から大学院生が学術研究交流のために来ていた。特にドイツからの学生が多かったのが印象的であった。

クレアホールのもう1つの特徴は、先端科学の研究に力を入れていることであり、今回同カレッジ内で交流する機会のあった研究者も院生も多くが学際的な領域で研究を行っていた。例えば、今回先端研からの受入れを担当して下さったシニア・チューター(カレッジにおける教育の最高責任者)のアイアン・ブラック博士の専門は金融地理学であり、理系・文系といった従来の区分に入らないどころか、同分野を専門としている研究者は世界でも珍しい。ちなみに、同博士及びその秘書のアイリーン・ヒルズ氏には大変お世話になり、総合図書館の利用申請に必要な書類発行など、滞在中必要な様々なことに骨を折っていただいた。

  • クレアホール外観

  • 総合図書館外観

3.サマースクール

サマースクールは日本の大学では余り開講されていないが、欧米の大学、特に米国の大学ではよく開講されている。殆どが学内外の学士課程の学生用に夏季休暇中でも単位を取得できるようにするプログラムであり、その他に、海外の学生用の語学履修プログラムや高校生用の体験プログラム等が提供されている。しかし、ケンブリッジ大学におけるサマースクールの場合、平常ケンブリッジ大学で教えられている科目と同水準とのことであるが、基本的に学外者向けであり、学内の学生が履修するためのものではない(ケンブリッジ大学の単位は出ない)。誰が履修するのかと云えば、知的好奇心に溢れた世界中の老若男女である。実際、履修者のうち最年少は他学の学士課程に所属する学生だったが、修士課程や博士課程レベルの院生、更にはすでに博士号を持つ研究者や実業界でキャリアを極めた人たちも多数おり、居住国も数十カ国にわたり、まさに「多様」としか表現できないグループであった。

しかも、ケンブリッジ大学のサマースクールは他学のように科目が完全な自由選択式になっているわけではなく、テーマや時期によってサマースクールのプログラムが分かれており、履修者は自分のプログラムで提供されている科目のリストの中から選ぶことになる。文学、歴史、西洋中世学、科学、シェークスピア、古代帝国といったテーマのプログラムがあるが、先端研の夏季研修プログラムに参加する場合、ケンブリッジ大学では「学際的サマースクール」の4週間プログラムか2週間プログラムを履修することになる。私の場合は、8月に開催された2週間プログラムの方を履修した。

なお、「学際的サマースクール」における「学際的」とは、理系と文系の両方の科目が開講されているという意味では決してなく、殆どの科目が学際的な内容であるという文字通りの意味である。そういう意味でも私が東京大学で学ぶ先端学際工学、特にバリアフリー分野における文理融合、分野越境の姿に通じるが、「学際的サマースクール」の科目は工学や科学に限定されていないので、一層越境的である。

「学際的サマースクール」では科目は3つまで履修できることになっているので、最大の3科目を履修することにし、選択肢の中では最も私の研究分野に近かった「考古学史」、「数学史」、「ルネサンス期の工学」を選び(註:私自身も学際的な研究をしているため全く同じ科目は世界どこにも存在しない)、全講義に出席して無事修了した。選択に当たって重要だと思ったのは、それらの3つの科目の内容がどれくらい私の研究分野に近いかではなく、どれくらい私の研究分野にも通じる洞察を得られるか、(私がこれまで一度も学んだことがない)これらの3つのテーマから私の研究分野で活かせる新しい視点をどれくらい得られるかである。

(1)「考古学史」は考古学でも人類史でも文化人類学でもなく、考古学という学問の歴史を学ぶクラスであった。人類がどのように過去の記録と遺物と接し、理解し、保存してきたか、古代の権力者が記念品・美術品の収集や好奇心の満足を目指す水準からどのように学術的視点や考古学者が発生してきたのか、考古学が科学技術の発展により文化人類学・史学・言語学等の文系分野から多くの本格的な理系分野も関与する学問にどのように変貌してきたのか、その過程でどのような軋轢や学派が生まれたのか、社会主義等のイデオロギー及び政策並びに日本等アジア諸国における記録保存の重視(遺物保存の軽視)等の文化性が考古学に与えた影響、どういった考古学者がどういった発掘に関わりながらどういった主張をしたのか等のトピックを含めて包括的に考古学の歴史を知ることができた。つまり、この「考古学史」がなぜ「学際的サマースクール」にて開講されているかと、考古学史が考古学と史学の融合である上、考古学そのものが数十の学術的分野を越境したり融合したりしながら発展してきたからである。その点、私が現在関わっているバリアフリー学も考古学にある程度似た発展過程を経てきており、両分野の発展過程における類似性と差異は興味深い。もしかしたら、将来は「バリアフリー学史」というバリアフリーの学問がどのように派生し、発展してきたかという歴史を教える講義も日本か英国で生まれるかもしれない。

講師はアステカ文明の専門家であったが、講義の題材にはギリシャ、日本、中国、エジプト、メソポタミアをはじめ、世界各国の遺跡・遺構が用いられた。ケンブリッジ大学での講義ということもあり、ケンブリッジ大学周辺の遺構、ケンブリッジ大学の考古学者による学術的貢献、英国を代表する遺跡であるストーンヘンジの発掘史(ストーンヘンジの歴史ではない)、大英博物館が所蔵する文化財の他国への返還問題への言及も非常に多かった。

また、本科目に限らず、3科目全てに共通していたことだが、ケンブリッジ大学では「課題文献・参考文献リストにある学術書や論文を読めば誰でもわかるような情報をそのまま述べるのは講義ではない。講師は紙に書いていないことを講義の内容にすべきである。どれくらい講師の知識量が学生のそれよりも上なのかを学生に知らしめつつ、学生の知的好奇心を刺戟する」というポリシーが徹底している。日本とも米国とも違うスタイルである。

(2)「数学史」は「考古学史」同様、数学の歴史であり、これが「学際的」なのは数学という理系分野を哲学、宗教、古代史、中世史、近代史といった文系分野、物理学、工学といった理系分野と絡めながら理解する必要があるからである。

講義では、数学や代数の定義(計算法や算数との違い)を厳密に行い、過去の人間たちが当時の知識と価値観に基づいてどのように数学に関わったのかをその定義に沿って理解する、というステップを繰り返した。史学とは、二十一世紀の価値観や知識を以て歴史を理解、解釈したり、正誤や善悪を論じたりするのではなく、対象の時代の価値観や知識を熟視した上できちんと定義された用語や概念と照らし合わせて理解、解釈するものである、というのが講師(西洋及び中近東における数学・工学の歴史が専門)の信念であった。

古代メソポタミアや古代エジプトには数学は存在しなかった、数学と呼べるものは古代ギリシャで生まれたがユークリッドは数学の祖ではない、当時最高の数学者はエウドクソスでありそのすぐ後の時代に偉大と言えるのはアルキメデスである、ピタゴラスは架空の人物である、アラビア文字はアラビア人がインド人から借用したのでヒンドュ・アラビア文字と云うべき、古代ローマ人は数学も工学も苦手でギリシャ人頼みだった、幾何学への無限論の応用と微積分は根本的に違う概念、デカルトの最大の功績は幾何学の代数化、ライプニッツは微積分の発見者ではない、ニュートンは人格破綻者、等々1つずつ掘り下げたら1冊の本になりそうな「学術的真実」(上記のアプローチと学術的証拠に基づいた結論)を裏付けとなる証拠と併せて多く教わった。(日本のものを含めて)世界中の教科書も百科事典も誤謬だらけであるということが判明、孫引きの知識が如何に危険であるか思い知らされた。

(3)「ルネサンス期の工学」は「数学史」と同じ講師であったが、これも同様に衝撃的であった。「ルネサンス期の工学」の学際性は、その理解のために工学、物理学、哲学、宗教(神学)、中近東史、技術史、美術、建築、政治等多様な分野における知識が必要となる点であるが、その点、当該講師は最も適任であり、その厖大な知識を非常に論理的かつ解りやすく履修者に提示して見せた。

以下、講義で学んだことの一部である。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームに使われた建築技術、フィレンツェとピサとローマ・カトリック教会の関係、レオナルド・ダ・ヴィンチは万能の天才ではなかった(天才的な画家だが平凡な工学者)、工学は哲学・物理学・数学より下に見られていた、実際には動かない機械の設計図が流行した理由、ルネサンスを齎したのは衰退したビザンチン帝国からのギリシャ的文化の流入と枢機卿ヨハンネス・ベッサリオン、プラトンは「預言者」としてカトリック教会に受入れられた、地動説はギリシャ哲学の産物でコペルニクスが活動する百年以上前に広まっていた、地動説は教会に拒否されていなかった、「コペルニクス的転回」は存在しなかった、ジョルダーノ・ブルーノが火刑に処せられたのはコペルニクスの地動説を擁護したからではない、ガリレオの天才性、ガリレオの効果的な研究発表方法、ガリレオの異端審問における政治的理由と政治的パフォーマンス、ガリレオの晩年は安泰であった、等々。

「数学史」で知りえた事実と同じく、殆どが教科書や百科事典に記載されている内容を覆すものであった。また、工学系研究科に身を置く者として、西洋における工学の発展及び工学の学術的ないし社会的位置付けの変遷を知り得たことは大きかった。

(4)サマースクールでは、所属するプログラムに関係なく希望者に夜間セミナーを毎晩開講していた。「1920年代の英国」、「中世の機械」、「美術品の修復」、「ティオティワカンにおける人身御供」等といったテーマで専門家が1時間ほど講義する形式である。最も興味深かったのは「中世の機械」についてのセミナーであって、講師は中世英国を例に、豊富な資料(当時描かれた図画の複写や統計資料)を使いながら戦争の機械、産業の機械(風車等)、神の機械(教会聖堂の大時計)の3つの機械について熱弁した。その他、サマースクールの事務局があるマディングリー・ホ-ルでパーティーが開かれたときがあり、同ホール横の歴史的なイングリッシュ・ガーデンを主任ガーデナーの案内で探訪することができたのは喜びであった。

  • 総合図書館内部

  • 総合図書館内部の様子

4.個人の研究・調査

前述のように、クレアホールやサマースクールでの学術研究交流は幅広く行えたが、唯一残念なのは、夏季休暇の時期と重なってしまったことで、私が現在研究している分野であるソーシャル・キャピタル(社会関係資本)やバリアフリーに関わるケンブリッジ大学の研究者がキャンパスにいなかったことである。そのため、研修期間中の研究・調査は主に総合図書館での文献調査となった。

ケンブリッジ大学内には多数の図書館があり、学部のものがあればカレッジのものもあり、それぞれに特色がある。トリニティ・カレッジのレン図書館等は歴史的に貴重な科学書においてはたぶん世界一のコレクションを誇る。蔵書数で云えば、総合図書館が最も多くて8百万冊以上ある。夏季研修の後半2週間は、この総合図書館でアーカイヴと挌闘する日々だった。特に探したのは、東京大学や日本では入手困難だと思われる参考文献であり、電子化されていない英語の学術書等である。一応の成果はあり、ソーシャル・キャピタルに関する有用な文献をいくつか見つけることができた。ただ、ソーシャル・キャピタルとバリアフリーの関連性を論じた文献は、日本と同様に見つけることができなく、このトピックでの先行調査がほぼ皆無である(同トピックがある意味「最先端」である)ことを再確認できた。

空いている週末はロンドンに行き、同市におけるバリアフリー対策やソーシャル・キャピタルの実態を見学した他、同市にある英国議会及び世界的な博物館・美術館、並びに近郊のウィンザー、ソールズベリー、ストーンヘンジを訪れ、英国政治、ソーシャル・キャピタル、及びサマースクールで履修した「考古学史」、「数学史」、「ルネサンス期の工学」で教わった知識の確認、検証を行った。

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